これまでも“是……的”は何回か学習してきました。
今回は最初に疑問文を作り、次のその答えの肯定文、否定文も述べるという課題でした。
ポイントはすでに行われた過去についての事柄を述べる時に使うということです。
・“是”が省略されていることもある。
・否定文では“是”は省略することはできない。
疑问句:1.你(是)跟谁学的汉语? あなたは誰から中国語を教わったの?
2.教你汉语的老师是谁? あなたに中国語を教えているのは誰?肯定句:我跟谢老师学的。 私は謝先生に教えていただきました。
否定句:我不是跟谢老师学的。 私は謝先生に教えてもらったのではありません。
2は“是……的”構文ではありません。ここでの“的”は“老师”にかかっている名詞修飾の形です。
この文章“你跟谁学的汉语?”の翻訳について暫し皆で討論しました。
“跟”を「~と」と訳すのが正しいのではないか?という意見が出ました。つまり
「あなたは誰と中国語を学んでいますか?」の意味ではないのかと。
もし上記の意味ならこうなります。
你跟谁一起学习汉语?
疑问句:你到底跟谁结的婚? あなたは結局だれと結婚したの?
肯定句:我是跟福山结的婚。 私は福山さんと結婚したのです。
否定句:不是跟的他。 私は彼と結婚したのではありません。
(この時“的”は“跟”の後ろに置くとのこと。 )
中級では第14課《独生子女》のまとめを作文するという課題が出ていました。
「短い文章でもかまいません」と老师は言いますが、、、
皆さん準備していなかったのか、とっさには出てきません。
勇気ある2名?が発表しました。
<Z内先生発表の文章>
阳子会做菜,夏天连炒菜也不会。
陽子さんは料理ができます。 夏天さんは炒め物でさえ、できません。
ここでは「ごはん」つまり夕食一式、主食とおかずも含めて「私はごはんを作ることができます 」と言いたい場合は“做饭”とするのが良いとのことでした。
“做菜”だと「おかず」のみを指すことになり不自然だとのことです。
<D田女士発表の文章>
在中国实行独生子女政策,但是2015年这个政策废止。
所以在我们学汉语里绝对没有像阳子说的那样事情。
中国では一人っ子政策を実施していましたが2015年に廃止になりました。
なので私達が中国語を学習する中で陽子さんが言うようなことは絶対ない。
阳子说的是“将来汉语里哥哥、姐姐、弟弟、妹妹 这样的词也许不用了。”
老师がことわざを教えてくれました。
不能输在起跑线上 或者 不要让孩子输在起跑线上。
(子供を)スタートラインで負けさせるわけにはいかない。ここでの“不能”は「できない」ではなく禁止するな!の最も強い口調 の意味の“不能”です。
不要 < 不能
中国の子供は幼い頃から勉強、勉強で遊ぶ時間がなくかわいそうだと思います。親は子供のため、子供が将来苦労しないようにと考えての行動なのは理解できますケド。。。
スタートラインで負けても長い人生いくらでも逆転できますが。。。
また何をもって人生の勝ち、負けと定義するのか?
「負けるもの」がいるからこそ「勝つもの」も存在するのであって全員が「勝つもの」になるのはありえないです。
私自身はこのような陰陽思想(互いが存在することで己が成り立つ考え方。)を座右の銘としている部分があり、この思想をよく我が子に語ります。
太陽があれば月があり、男がいれば女があり、天があれば地があり、、、
良いことがあれば悪いこともある、、、などなど
117ページには「中国のじゃんけん」というコラムが記述してあります。
じゃんけんは“猜拳”
日本でいう掛け声「じゃん・けん・ぽん !」は
“猜丁克”cāi dīng kè とのことです。
今これ書いていて気が付きました。「じゃんけん」は
グーはチョキには勝つけどパーには負ける
パーはグーには勝つけどチョキに負ける
チョキはパーには勝つけどグーに負ける
石头 >剪子> 布> 石头、、、、勝ったものが負けにかわることもある、まさに「表裏一体」
これも一種の陰陽思想と言えるのではないでしょうか?
また同じ117ページでは、ある中国の童謡が紹介されています 。
こちらはyoutubeの動画で見つけましたので掲載しておきます。
歌詞が教科書で紹介されたものと若干違いました。
次回2月18日は新年会行事のため授業はお休みとなります。
見学希望の方は3月の第1土曜日にいらしてください。